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矢野 燿大(輝弘)【39】CONCEPT

矢野燿大とは

矢野 燿大(やの あきひろ、本名:矢野 輝弘/読み同じ)は、大阪市平野区出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)。現在は朝日放送、サンテレビ、スポーツニッポン大阪本社のを務めている。
愛称は「テル」、「アキちゃん」、「矢野プー」など。マネジメント契約先はスポーツビズ。


矢野燿大・データ

CEO

生年月日
1968年12月6日

身長・体重
181cm・80kg

投球・打席
右投右打

ポジション
捕手、外野手

プロ入り
1990年ドラフト2位

初出場・最終出場
1991年8月3日・2010年5月8日

経歴
大阪市立桜宮高等学校→東北福祉大学→中日ドラゴンズ(1991‐1997)→阪神タイガース(1998‐2010)

通算成績
試合:1669 打席:5517 打数:4921 得点:503 安打:1347
本塁打:112 打点:570 盗塁:16 犠打:103 四球:406 死球:58
三振:1089 打率:.274 出塁率.335

タイトル
なし

表彰
ベストナイン:3回(2003年、2005年、2006年)
ゴールデングラブ賞:2回(2003年、2005年)
日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2005年)
最優秀バッテリー賞:2回(2003年、投手:井川慶、2005年、投手:藤川球児)


野球選手としての特徴

中日時代は星野仙一監督(当時)から捕手失格の烙印を押され、外野を守る事が多かった。98年からトレードで阪神タイガースに移籍後は野村克也監督の元、捕手として大成し、監督が中日時代と同じく星野氏に代わっても正捕手の座を守った。

2003年、打っては打率.327、14本塁打、79打点、捕手としてもシーズン通して投手陣を引っぱり、チームのセ・リーグ優勝の原動力となり、「恐怖の7番バッター」の異名を持つことになる。

また、女性ファンが多いことや、ヒーローインタビューでは「必死のパッチ」をよく使うことでもおなじみである。

人物

読書家で、愛読書は「夢をかなえるゾウ」(水野敬也)など。大のスイーツ(甘い菓子)好きでもある。

阪神の選手時代には、「優しい」と形容する解説者が多い一方で、「阪神で一番短気」と言われることもあった。事実、年に一度のペースで乱闘寸前になることがあり、投手を叱咤することもたまに見られた。また、審判の判定に不服を示す素振りもたまに見られ、1998年と2006年に審判に対する暴力行為で退場処分を受けている。

ドラフト会議では、司会者だったパンチョ伊東から名前を「てるひろ」と読み間違えられ、当時中日の監督であった星野仙一から「テル」と呼ばれるようになった。ちなみに偶然にも矢野のトレード相手の一人であった久慈照嘉は中日時代の一時期登録名を「テル」にしていた。

中日では星野から打撃力を評価されていたが、入団4年目(1994年)まで一軍で目立った実績を残せなかった。しかし、東北福祉大から一緒に入団した吉田太が、その年のシーズン終了後に戦力外通告を受けてひっそりと退団したことから一念発起。「自分が辞める時に後悔だけはしたくない」という危機感を抱きながら、正捕手の中村のリードを本格的に研究するなど、自ら率先して練習に励むようになった。
さらに、外野手として公式戦に出場する機会を重ねるうちに、捕手というポジションへの思いを強めた。「ボールがいつ飛んでくるか分からない外野手では、一球ごとにサインを考えたり投手にボールを返したりする捕手に比べて、どこか試合に参加してないような気持ちになる」という吉田の退団をきっかけに日頃からの準備の重要性に気付いたことが、捕手としての転機になった。
解説者に転じてからは、このような下積みの経験を基に、(捕手を含めた)若手野手のプレーや野球へ取り組む姿勢に苦言を呈することが多い。


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